楽しいか、楽しくないか、感情は相手のもの

「毎日書く」と自分と約束して、1日目でそれが出来ず、その日の分を翌日に書いて、またその日の分を書かずに翌日になっています。どこかでリカバーしたいような、「1日抜けたけど、それ以外の日は毎日書いている」と考えても良いような。

さて、昨日の外出で「感情は相手のもの」と再確認した出来事がありました。
ある屋外でのイベントに家族(男女双子+夫+私)で出掛けたのですが、コーヒーの飲み比べをしながら飲食を屋外で楽しむようなイベントで、到着時間が遅かった我々は、食事系は完売でありつけず、メインのコーヒーの飲み比べについては、情報不足で、どう楽しんだら良いものか、ちょっとアウェイな感じになってしまいました。

散策が好き+屋外好き+好奇心旺盛=私
散策が好き+ママ大好き=娘
あきらかに楽しいモノが好き=息子
誘われたので同行した=夫

というようなメンバー構成だったのですが、会場ではほとんど楽しめませんでした。
分かりやすい食事系は完売、コーヒースタンドはあるけど特徴がつかみにくい、分かりやすいお楽しみが見つからない、という感じで、空気がどんどん悪くなり、娘は雰囲気からしょんぼり。息子は「ここには居たくない」の気持ちを放ちまくる。

「どこかのスタンドでコーヒーを飲んだら?」と夫に声をかけてみたものの、
「何がなんだか分からないから(怒)!」と返されて、ムードは最悪、悲しい気持ちに。

コーヒーを一杯も飲まずにその場を離れて、お昼ご飯を食べに行くことにしました。
道すがら、「分からないところに連れて行っちゃってごめんね」と夫に声をかけたのですが、何だかもやもやしていました。

私の心は;

〇空気が悪くなってしまって、それが嫌で何とか解消したかった。
〇こちらが謝ることで、相手に自分自身の態度を振り返ってほしかった(こういうのって、何て言うんでしたっけ、「自己憐憫(じこれんぴん)」的な、えーっと・・・)。
〇私に何か出来たのか?
〇仕方ないじゃん!

そんな感じだったと思います。

実は、出掛ける前にもすれ違いみたいなものがあったので、もうそこで空気がよどみ始めていたんですよね。

息子と私で午前中に用事があり、「12:30頃帰宅」と伝えていたのに、夫が「12:30から用事」と勘違い。「言ってたでしょう?(口には出していない)」という思いと、「言ってた時間と違うぞ」という夫の認知とのすれ違いがあった状態で出発。そこの解消が出来ていないままだったのもマイナス方向に引っ張っていたのだと思います。

そんなことがあって再確認したのが「感情は相手のもの」ということでした。

その場を楽しむか、楽しまないか。
それは相手の感情であって、私がどうこうするものでもなく、出来るものでもなく、まして責任もない。
楽しもう、と思って行動に出るか、出ないか、は相手がすること。
私は、私が楽しめるように行動すればそれで良かった。
相手がふてくされていても、それは相手がしていることであって、私が謝ってどうこう出来ることではなかった。
しかも、私の心の中には「こちらが謝ることで相手のふてくされた態度を反省してほしい」という思いがあった。

これって相手に失礼、ですよね。
自分がされたら嫌ですし。

そに場に来るか、来ないか、決めたのは相手。
時間を勘違いして、そこから生じた感情をどうするかを決めるのも、到着した場所がどうであれ、どんなふうに過ごすか決めるのも相手。

自分が良ければ相手のことはどうでも良い、のように勘違いされては困るのですが、よく言われるように、私たちは、他者をコントロールすることは出来ませんし、そんなことしてはいけないのだと思います。

ああ、我慢しないで、1杯だけでもコーヒーを飲めばよかった。

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